『物件怪異奇譚・新年外伝』

2026年01月02日

『物件怪異奇譚・新年外伝』

――明けても、終わらない。

 正月というのは、始まった瞬間から終わっている。

 街は静かで、店は閉まり、人は「今年は頑張る」と言いながら何もしていない。
 時間だけが、気まずそうに流れていく。

 不動産屋にとって、新年は「存在してはいけない期間」だ。
 営業しているようで、していない。
 休んでいるようで、休めない。

「主任、あけましておめでとうございます」
「まだだ」
「え?」
「“明けた”という実感がない。だから、まだだ」

 鈴木主任は事務所のカレンダーを睨んでいた。
 一月一日。赤い。

「主任、世間的にはもう新年です」
「世間は関係ない。不動産は“実感”が遅れてくる」

 そのとき、電話が鳴った。

「……はい、メディアフェイスです」
『すみません、新年早々なんですが……』

 嫌な予感は、正月でも裏切らない。

「部屋が、正月仕様のまま戻らないんです」

 現場は管理物件のワンルーム。
 一人暮らしの男性。
 部屋に入った瞬間、違和感は明確だった。

「……門松ありますよね」
「あります」
「鏡餅も」
「あります」
「しかも三つ」
「縁起がいいかなと」

 問題は、今日が一月七日だということだった。

「片付けようとすると、元に戻るんです」
「元に?」
「昨日、門松を外して捨てたら、朝起きたら玄関に戻ってました」

 鈴木主任は深く頷いた。
「正月だな」
「いや、もう七日です」
「正月だ」

 部屋の中は、完全に「正月」だった。
 テレビは箱根駅伝の再放送を流し続け、
 冷蔵庫にはおせち、
 電子レンジの上にはなぜか破魔矢。

「主任、これ……怪異ですよね?」
「違う」
「違うんですか?」
「“新年が来ていない”だけだ」

 男性は困惑していた。
「でも、カレンダーは進んでます」
「進んでるのは紙だ」
「紙?」
「生活が進んでない」

 鈴木は、部屋の中央に座り込んだ。
「正月というのはな、“切り替えの儀式”だ。
 だが切り替えに失敗すると、生活が旧年に引き戻される」

「つまり……」
「この部屋は、まだ去年だ」

 アコムは思わず笑った。
「主任、それ完全に理屈破綻してますよ」
「正月の理屈は、だいたい破綻している」

 解決策は意外なものだった。

「初詣、行きましたか?」
「行ってません」
「それだ」

 男性は首を振った。
「でも混んでるし……」
「混むのが初詣だ」

 その場で、即席の“初詣”をやることになった。

 鈴木主任は、破魔矢を持ち、
 鏡餅の前に正座した。

「今年もよろしくお願いします」
 男性とアコムも続く。

 沈黙。

 五分。

 十分。

「主任、何も起きません」
「待て。新年は遅い」

 その瞬間、
 テレビが砂嵐になり、
 門松がしおれ、
 鏡餅が普通の餅になった。

「……終わった?」
「ああ。やっと来た」

 部屋の空気が、少し軽くなる。

「じゃあ片付けていいんですね?」
「いい。ただし――」

 鈴木主任は真顔で言った。
「今年の抱負を、一つだけ言え」

 男性は少し考えて、言った。
「……ちゃんと、生活します」

 その瞬間、
 玄関の門松が消えた。

 事務所に戻ると、
 ホワイトボードの文字が書き換わっていた。

《年始注意事項
・明けたつもりになるな
・切り替えろ
・でも急ぐな》

 アコムは聞いた。
「主任、これって怪異ですか?」
「いや」
「じゃあ?」
「正月だ」

 新年は、
始まったと思った瞬間から、
ちゃんと始め直さないといけない。

 それを忘れると、
生活だけが取り残される。

「来年もありますかね、こういうの」
「毎年ある」
「ずっと?」
「人類が正月をやめるまでな」

 鈴木主任は、みかんを剥きながら言った。

「だから不動産屋は、
一月が一番忙しいんだ」

(了)

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