第1話:やきとり39円の夜

2026年04月28日

第1話:やきとり39円の夜

 どうも、おさかなおぢです。

 ——って言うと、大体の人は引く。

「その自己紹介、やめた方がいいと思いますよ」

 隣でそう言ったのは、後輩の美咲だ。
 二十代後半、都会から来たばかりの新入りで、やたらと正論を言う。

「自己紹介は自由だろ」

「自由ですけど、第一印象は大事です」

「第一印象で全部決める方が問題だ」

「出た、昭和」

 ため息をつかれる。

 最近、このやり取りが増えた。

 俺はただ普通にしているだけなのに、
なぜか“古い”と言われる。

 納得はしていない。

 だが今日は、そんなことはどうでもいい。

「ほら、着いたぞ」

 目の前には、赤い提灯。
 看板には小さく——

 やきとり39円

「……安すぎません?」

 美咲が眉をひそめる。

「疑うな。うまいぞ」

「いや、疑いますよ普通」

 その“普通”が、俺には分からない。

 扉を開ける。

「いらっしゃい!」

 煙。
 焼ける音。
 タレの匂い。

 これだ。

 席に座ると、すぐにビールを頼む。

「お前は?」

「じゃあ……ウーロン茶で」

「遠慮するな」

「いや、飲みません」

 最近の若いやつは、飲まない。

 それが悪いとは言わないが、
少しだけ物足りない。

 やきとりが来る。

 皿いっぱいに並ぶ、串。

「……え、これで?」

「39円だ」

「安すぎるって怖いです」

「食えば分かる」

 一口。

 美咲が止まる。

「……うまい」

「だろ」

 その顔を見ると、少しだけ勝った気がする。

「おさかなおぢさんって、なんでそんなに詳しいんですか?」

「おさかなおぢ“さん”はやめろ」

「じゃあ何て呼べばいいんですか」

「……普通でいい」

「普通って何ですか」

 確かに分からない。

 俺も少し考えたが、答えは出なかった。

 酒が進む。

 話も進む。

「太田って、正直何もないと思ってました」

 美咲が言った。

「ある」

「何がですか」

「こういう店だ」

 安くて、うまくて、
人がいて、
会話がある。

 それで十分だ。

「でも、それってどこにでもあるじゃないですか」

 その一言で、
少しだけ空気が変わった。

「違う」

「何がですか」

「“ここ”で食うから意味がある」

 美咲は黙った。

 分かっていない顔だった。

「じゃあ、東京でも同じじゃないですか」

「違う」

「何が違うんですか」

「……分からないならいい」

 言いかけて、やめた。

 うまく説明できない。

 こういうのは、理屈じゃない。

 少し気まずい空気。

 だが、美咲が口を開いた。

「……でも、うまいのは認めます」

「そうだろ」

「悔しいですけど」

 その言い方に、少し笑った。

 帰り道。

 夜の太田は静かだった。

 ネオンも少ない。
 人も少ない。

「……静かですね」

「いいだろ」

「うーん……」

 美咲は少し考えて言った。

「悪くないです」

 それでいい。

「また連れてきてください」

 その一言で、
少しだけ嬉しくなる。

「……気が向いたらな」

「絶対ですよ」

 少しだけ距離が縮まった気がした。

 恋かどうかは、まだ分からない。

 だが、
悪くない夜だった。

あ