鈴木ゴンゾウの日常2

2026年02月17日

――ゴンゾウ、ハラスメントを勉強しすぎる

 鈴木ゴンゾウは、
自分がハラスメントをしているとは思っていなかった。

 ただ、
「普通のこと」を言っているだけだった。

 だがある朝、
事務所の掲示板に貼られた一枚の紙が、
ゴンゾウの一日を狂わせた。

《全社員対象
 ハラスメント研修 実施のお知らせ》

「……研修」

 ゴンゾウは、
その文字を二度見た。

 ハラスメント。
 言葉としては知っている。
 だが、
どこからどこまでがハラスメントなのか、
正確には分からない。

(……知らないままでは、
 いけないな)

 ゴンゾウは、
真面目だった。

 研修当日。
 講師は若く、
声は柔らかく、
言葉は丁寧だった。

「ハラスメントとは、
 相手が不快に感じた時点で成立します」

 その瞬間、
ゴンゾウの背筋が伸びた。

(……相手基準)

 それは、
昭和には存在しなかった概念だ。

「悪意がなくても、
 成立します」

(……悪意がなくても)

「善意でも、
 成立します」

(……善意でも?)

 ゴンゾウの中で、
何かが音を立てて崩れた。

 研修が終わる頃、
ゴンゾウは決意していた。

(……完璧に理解しよう)

 翌日から、
ゴンゾウの行動は変わった。

 まず、
挨拶が変わった。

「おはようございます」
ではなく、
「……おはようございます(問題があれば言ってください)」

 言い終わるたびに、
少しだけ頭を下げる。

 若手は戸惑った。

「ゴンゾウさん、
 どうしたんですか?」

「……ハラスメント対策だ」

 次に、
指示が変わった。

「これ、やっておいて」
ではなく、
「もし可能で、
 かつ負担でなければ、
 こちらを検討してもらえると助かる」

 一文が、
異様に長い。

「ゴンゾウさん、
 結論なんですか?」
「……やってくれ」

 昼休み。
 アコムが言った。

「ゴンゾウさん、
 ちょっと気を遣いすぎです」

「……それは、
 指摘か?」

「違います」
「……共有か?」

「普通の会話です」

 ゴンゾウは黙った。

 午後、
さらに事態は悪化した。

 ゴンゾウは、
一切、誰も褒めなくなった。

「いい仕事だったな」
→ パワハラの可能性
「頑張ったな」
→ 努力の強要
「助かった」
→ 依存関係

 すべて封印。

 結果、
ゴンゾウは無言になった。

「……」

 沈黙は、
逆に怖かった。

「ゴンゾウさん、
 何かあったんですか?」

「……何も言えない」

 ついに、
アコムが止めに入った。

「ゴンゾウさん」
「……何だ」
「勉強しすぎです」

「……勉強は、
 悪いことか?」

「いや、
 使い方です」

 その夜、
ゴンゾウは自宅で
資料を読み返した。

《大切なのは、
 相手への配慮》

 そこに、
一文書き足した。

「……配慮しすぎない配慮」

 翌日、
ゴンゾウは少しだけ戻した。

「おはようございます」
「おはようございます」

 それだけ。

 指示も、
短くした。

「これ、頼む」
「はい」

 問題は起きなかった。

 昼、
アコムが言った。

「ゴンゾウさん、
 戻りましたね」

「……少しな」

 ゴンゾウは思った。

 ハラスメントは、
知るべきだ。
 だが、
恐れすぎると、
会話が死ぬ。

「……ほどほどだな」

 帰り道、
ゴンゾウはコンビニで
肉まんを買った。

「温めますか?」
「……はい」

 余計な言葉は、
足さなかった。

 それで、
ちょうどよかった。

(了)

あ