物件怪異奇譚・正月明け外伝

2026年01月20日

『物件怪異奇譚・正月明け外伝』

――通常運転、未復旧。

 正月明けというのは、非常に中途半端な時期である。

 世間的には「もう日常」。
 だが身体と気持ちは、まだ半分ほど餅でできている。
 それなのに会社は始まり、電車は混み、メールは溜まり、
 なぜか全員が「通常運転」という言葉を使い始める。

 不動産屋にとって、正月明けは災厄だ。

「主任……今日、問い合わせ二十三件あります」
「多いな」
「内容が、全部“元に戻らない”です」
「戻らない?」
「はい。“正月が終わったのに、終わってない”系です」

 鈴木主任は、デスクに置かれた鏡餅を見た。
 誰も片付けていない。
 誰も食べていない。
 そして、なぜかカビてもいない。

「始まったな」
「何がですか」
「正月明けだ」

 最初の現場は、管理物件の一室。
 三十代の男性が、疲れ切った顔で迎えた。

「仕事始め、もう一週間なんですよ」
「はあ」
「なのに……」

 部屋の中は、完全に正月翌日だった。

 テレビは駅伝ダイジェスト。
 冷蔵庫にはおせちの残骸。
 玄関にはしめ縄の“名残”。

「片付けたんです」
「いつ」
「三日前に」
「それで?」
「翌朝、戻ってました」

 アコムは天井を見上げた。
「主任、これ前にも……」
「違う。今回は“正月明け”だ」

「違いあるんですか」
「ある。正月中は“始まらない”が、
 正月明けは“戻らない”」

 鈴木主任は、カレンダーを指で叩いた。
 そこには赤字で「1/10」とある。

「この部屋、正月を“引きずっている”」
「引きずるって……感情ですか?」
「生活だ」

 次の現場は、もっとひどかった。

《出勤しているのに、休日扱いされる》

 会社に行っても、
誰にも話しかけられず、
仕事も振られず、
「まだ休みでしょ?」と言われる。

「それ、怪異じゃなくて社内問題では」
「怪異です」
「断言します?」

 鈴木主任は、その人の部屋を見て言った。

「正月用スリッパ、まだ出てるな」
「はい」
「来客用座布団も」
「はい」
「年賀状、玄関に積んである」
「……はい」

「この部屋、“平日を拒否している”」

 アコムは吹き出した。
「部屋が拒否権持つんですか」
「正月明けは持つ」

 決定打は三件目だった。

《曜日が戻らない》

「どういう意味です?」
「月曜日のはずが、ずっと日曜の感覚なんです」

 時計は動く。
 スマホの日付も合っている。
 だが体感が、完全に日曜。

「これは……」
 鈴木主任は腕を組んだ。
「正月が“延長戦”に入っている」

「延長戦?」
「本来、正月は三が日で終わる。
 だが現代人は、切り替えが下手だ。
 だから正月が、居座る」

 解決策は、驚くほどバカだった。

「“通常運転”を、ちゃんとやる」
「それができないから困ってるんですが」

 鈴木主任は、現場の部屋で宣言した。

「今から、平日をやる」

 やる、とは何か。

・朝七時に起きる
・スーツに着替える
・コンビニでコーヒーを買う
・ため息をつく
・『あー仕事だ』と言う

「これ、意味あります?」
「ある。儀式だ」

 全員で実行した瞬間、
部屋の空気が、少しだけ重くなった。

「……あ、なんか嫌な感じ」
「成功だ」

 テレビがニュース番組に切り替わり、
駅伝が終わり、
おせちが、ただの冷蔵庫の残り物になった。

「戻りました?」
「ああ。通常運転だ」

 事務所に戻ると、
ホワイトボードの文字が書き換わっていた。

《正月明け対応
・一気に戻すな
・平日を演じろ
・嫌な気分は正常》

 アコムは深く頷いた。
「主任、これ怪異ですか?」
「いいや」
「じゃあ?」
「社会復帰だ」

 正月明けとは、
祝祭と日常の境目で、
どちらにも完全に属さない時間だ。

 そこに居座ると、
生活は簡単にズレる。

「来年もありますか」
「ある」
「毎年?」
「人類が“正月明け”を
 ちゃんと定義するまでな」

 鈴木主任は、
ようやく鏡餅を片付けながら言った。

「……カビてないな」
「怖くないですかそれ」
「怖いのはな」
「はい」
「正月が、まだ終わってないことだ」

 鏡餅は、
普通にゴミ袋へ入った。

 その袋は、
もう戻ってこなかった。

(了)

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